#85. 天満天神社(白山神社境内)

月に一度月末に取る定期的な有給で、会社をお休み。ネットで見つけた古書『菅原道真辞典』を買いに本郷の古書店・柏林社書店へ。その後、旧白山通りを北上して白山神社。末社に天満宮があることは知っていて何度か散歩がてらに参拝していたが、今回改めて参拝。
府内天神や府内二十五天神に数えられ、現存しないとされている小石川白山天神が、地理的に近いというだけでこの末社とも、白山神社の勧進元が加賀国の白山比咩神社、菅原家の出自を称する前田家が支配した富山藩や加賀藩では天神信仰が盛んだったということから、勧進元の加賀繋がりではないかとも妄想。実際のところ、末社合祀殿の天満天神社の由緒は不明。

由緒

白山神社

当社人皇六十二代村上天皇天暦2年(948)9月加賀一宮白山神社を武蔵国豊島郡元国木と号して今の本郷元町に奉勧請す。
建武4年(1338)足利尊氏により国家平安御祈願所に命ぜられ永百貫文之御判物を賜る。元和2年(1616)徳川秀忠公の命に依り小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座、慶安4年(1651)徳川家綱公の用地と相成り、明暦元年(1655)現在地に移奉す。同年社頭其外造立に相成り、後に五代将軍家綱公之生母桂昌院の信仰を受けらる。元禄年中までは本社摂社寄附神楽宝庫は勿論神官宅まで、旧幕府より修繕を加えられる。寛文6年(1677)9月29日祭礼賑々しく執行いたすべき旨申し渡され、御開帳並びに祭具等寄附あり。
元禄3年(1690)正月29日旧幕府より社領30石寄附之あり。右朱印元禄6年(1693)9月29日戸田能登守相渡さる。元禄16年(1703)11月29日小石川辺より出火、本社摂社末社宝庫並びに祭具のこらず社中惣門まで悉く類焼し、宝永元年(1704)6月14日加藤越中守掛にて仮殿手当として金500両桧5000挺寄附あり。再建せられたるも享保3年(1719)3月回禄の時再び火災にあい宝物什器祭具等悉く焼失す。後数十年間本殿のみ建立しありしに明治32年拝殿建設、昭和8年改修し同9年9月18日盛大に正遷座大祭施行す。
なお白山御殿の地名は元白山社地なるが故であり、小石川の地名は始め加賀国石川郡より奉勧請当社鎮座の旧地に倣へるが故なり。
当社は明治元年勅祭神社に準じられ(準勅祭神社)、東京十社の一つである。
(境内掲示より)

天満天神社

由緒不明。

所在地:東京都文京区白山5-31-26

外部リソース